つい最近も、上級のクラスでの授業中に、韓国人の学生に、「どうして日本人は、友達からシャーペンや消しゴムを借りるときにいちいち断ってから借りるのですか。韓国では友達にものを借りるときは何も言いませんよ。」と言われました。つまり、韓国人の目から見ると、日本人は友達に対して他人行儀だ、ということになるわけです。

ほかにも、日本では当たり前のことが外国人にとっては奇妙に感じられる、というケースは、おそらく皆さんが思っているよりもずっと多いのではないかと思われます。例えば、韓国や中国には、旅行へ行ったら必ずお土産を買って帰り、職場の同僚などに配る、という習慣がないため、韓国人、中国人には、旅行先で必ずお土産を買う日本人の姿はかなり奇妙なもののように思える、ということはご存じでしたか。

反対に、例えば韓国人にとっては当たり前のことが日本人には奇異に感じられる、というケースも当然あります。韓国では友達同士の若い男性2人が手をつないで歩く、というのはごく普通のことですが、日本ではまずあり得ないことでしょう。

要するに、日本語のクラスは異文化理解、異文化コミュニケーションの場であるため、日本語教師は絶えず異文化についての新しい知識を得ることができるのです。



先ほど、外国人に日本語を教えるのは、日本人の中学生や高校生に英語を教えるよりもずっと面白いと思う、と書きましたが、その最も大きな理由がこれなのです。

 私が以前英語を教えていた日本人の中学生、高校生は、私の目から見ると、何を教えてもあまり反応がないように感じられました。こちらが一生懸命説明しても、本当に理解できているのかどうか、また、勉強していて楽しいと思っているのかどうかがはっきりしないため、手ごたえややりがいがあまり感じられなかったことが、彼らに英語を教えても面白くない、と私が感じた理由でした。

私がニュージーランドで教えていたintermediate schoolやhigh schoolの生徒たちは、その前に英語を教えていた日本人の生徒たちとは大違いで、授業が楽しいと感じているときはそれをストレートに態度に表しますし、つまらないと感じているときもそのことをはっきり表現しました。また、質問も日本人の生徒に比べるとずっと多かったので、教えていて張り合いがありました。

それは現在私が教えている国内の日本語学校の学生についても同様で、彼らの中には、授業中だけでなく休み時間にも納得がいくまで質問を続ける、という人もいます。確かに彼らの相手をするのは時間もかかりますし、根気も要りますが、そのような質問に答え、最後に納得してもらうと、やりがいが感じられるのは確かです。

長々と書いてきましたが、日本語教師という仕事の面白さが皆さんに少しでもわかっていただけたら嬉しいと思います。

 次回は、プロの日本語教師になるためにはどうしたらいいのか、ということについて書く予定です。どうぞご期待ください。